14 October 2026

Nico van der Waals

僕のメインのリュートを作ってくれたリュート製作家Nico van der Waals (ニコ)が、つい先日亡くなったと知りました。昨年会った時には、90歳近い年齢とあってさすがに少し弱った印象を受けましたが、それでも新作リュートを手掛け、ワインを飲みながらピザ丸々1枚にデザートまでペロリと平らげる姿も見ていて、まだ全く実感が湧きません。

ニコに初めて会ったのは、13年前、初めて師匠シグルンのイタリアでのマスタークラスに参加した時でした。会場であるシグルンの家に到着して、ダイニングに案内されると、そこにちょこんと座っていたのが、彼女のパートナーのニコでした。挨拶を交わすと、「わしゃリュート作るんじゃ」と名刺をくれました。まだ全くのリュート初心者で、製作家の名前もさっぱり知らなかった僕は、「へぇー、趣味で作ってるのかなぁ」などと呑気に構えていました。物静かで控えめながらも、お茶目でどこか飄々とした彼がすぐ好きになり、それから1週間は毎日のように「面白いおじいちゃん」の隣でご飯を食べていた気がします。

マスタークラスをすっかり満喫して帰国した後のある日、布団の上で寝転びながら、ぼんやりリュートCDのブックレットを眺めていると、録音に使われた楽器の製作者としてニコの名前が目に飛び込んできました。寝ていた体が文字通り宙に飛び上がって、慌てて他のCDを見ると、彼の名前がそこら中から、当時の愛聴盤だったStingのダウランド・アルバムからまで、ポロポロ出てくる…。こんな人の隣で、僕は何も知らず毎日パスタやピザをパクついていたのか…と血の気が引きました。

それからようやく、彼が現代のリュート製作の基礎を築いた人だったことを知りました。18世紀で一度絶滅したリュートは、20世紀前半までほとんど空想の楽器で、適当に作られていた。1960年代頃から、「本当のリュートはこんなはずじゃない」と考える人が出てきて、各地の博物館などに保管されている楽器を調べ回り、製作方法を研究し、本格的に復興する試みを始めた、その数少ない人たちの一人がニコだったのでした。プロ製作家としては、たぶん彼が一番長く作り続けたのではないでしょうか。そのような人に垣根なく会えてしまうという古楽の世界のフラットさにも、改めて魅力を感じることになりました。

リュートの製作もしたかった僕に、手始めに作ったバイオリンを見た上で、ニコは一度「習いに来ても良いぞ」と言ってくれたことがありました。でもビザ(滞在許可)をどうやって取ろう、彼にもシグルンにもおんぶに抱っこで迷惑をかける…などいろいろ躊躇し、解決しきれず、話は窄んでしまいました。結局、当時の僕はまだ覚悟が足りなかったのだと思います。彼の子どもは楽器製作の道に進まなかったし、唯一の弟子はチェロ製作家になり、彼が半世紀以上かけて培ってきたリュート製作の技は失われてしまいました。千載一遇のチャンスに、何としてでも習うという当然の選択をできなかった自分の未熟さが情けなく、恥ずかしい。後悔しかありません。

製作家としての彼についてよく思い出すのは、半世紀もの間第一線で活躍してきながら、なおもアマチュアのリュート製作家が書いた本を熱心に読んでいた姿。昨年会った時も、「トライ&エラーを繰り返してより良い物を作るようにする、それしか道はない」というようなことを力説していました。唯一の弟子が「いかに正確に作るかを学んだ」と言ったらしいその技術はもちろんですが、常に学び上を目指す圧倒的な情熱が、彼を一流たらしめたのだろうと思います。「弟子はチェロ職人になったから儲かっとる。わしゃリュートなんぞ作っとるから稼げんままじゃ」と事あるごとに冗談を言ってきたのは、いかにリュートが好きで人生を懸けているかの裏返しだった気もします。

ニコには、ただその信頼する人柄でリュートを注文しました。ローズなどは違うけれど、シグルンのものとほぼ同じの兄弟楽器。昨年見せたら、「お、オープンな音じゃの。何をしたか知らんが、よう育っとるわい」と評価してくれ、とても嬉しかった。亡くなった今、彼の楽器を弾けることのありがたみと重みが、より一層増してきています。大切に弾いていかなければ。

行ける時に行き、会える時に会っておこう、と昨年思い切ってイタリアへ行ったのは、つくづく良かった。お昼はシグルンはあまり食べないから、いつもニコと2人で彼の好きなキュウリとリコッタのサラダを作って、僕は帰国後も暫くキュウリにはまってしまった。もう一度、一緒に作って食べたかった。シグルンは、まさに今日からドイツの地元でマスタークラスを開く予定だったけれど、どうしているだろう。今回行っていたら、ニコに一目でも会えただろうか…。まだまだ、いろんな思いが湧いてきます。

ニコ、あなたに会えて本当に幸運でした。どうか安らかに。

坂を登るニコ(右)。2025年5月、サン・レオにて。